『午後の音楽』

小池真理子の『午後の音楽』を読んで。

ひたすらメールの文章が並ぶ小説。
義姉と恋に落ちた(?)中年の映画企画会社の男の人が主人公、なんだと思う。

なんでメールって面白いんだろう。文章って怖い。

会ってて会話してると、つい相手の顔色をうかがってしまうんだけど、
メールって勢いで書いて、相手の顔色がわからないまま送れてしまうんだよね。

そして、送った後不安になる。
・返事が来ない
・タイミングが悪かっただろうか
・何か失礼なことを書いてしまっただろうか。

返事が来ても、読みながら不安になる。
・本当にメールに書いてあるように思っているんだろうか?
・私とメールすることは面倒じゃないだろうか。。

想像力をフルに使う。良いほうにも、悪いほうにもたくさん使う。

だけど、すごく便利なんだよね。
気を遣っちゃう人に対してはすごく便利。

だって、電話は同じ時間を共有しなきゃできないけど、メールは相手が好きな時に見れて、好きな時に返事が書ける。だから、気を使わなくていい。

この小説は、
何もないところから始まって、だんだん好きになっていって、
もうどうしようもないくらいに相手のことばかり考えてしまう、
だけども、いろいろなしがらみや葛藤があって、踏みとどまる。

そんな恋愛の順序をきれいに書いていると思う。

読みながら登場人物と一緒に、盛り上がって、悩んで、悶々として、唸る。

メールの文章から、二人があってどんな時間を過ごしたのかを想像する。
それがこんなに面白いとは、って心底感じた。

みんなの恋愛のメールを集めたら面白いんじゃないだろうか。恥ずかしくて見せれないだろうけどさ。

この小説で自分の現状を客観的に見れるようになったかも。
すごく好きな人がいる。
けど、違う人と付き合ってて、それなりに慣れていて幸せではある。

けど、ほかの人に好意を向けられると嬉しいし、応えたくなってしまう。
多分それは、すごく好きな人と付き合ってないからなんだろうなぁ。

あとは、楽だからかなぁ。

私は、私のことをすごく好きな人と付き合うのが難しいんだよね。
もともと、期待されると「応えなきゃ」って思っちゃって、どんどん自分を追いつめて勝手に苦しんでしまうタイプだから。

結局のところ人間関係で、長い間友達関係で一緒に過ごした結果、
「私がこの人のことを嫌いになることは無いな。」
って確信できる人としか長続きしないんだよねー。

誰だって、嫌われるのイヤだよね。
「この人にどんなに嫌われようが、私はこの人が好きだ」って思うことが、
「この人に嫌われたくない」ってがんばって、がんばりすぎて苦しくなってイヤになるっていう、私のよくある循環を切り離せる唯一の手段なんだよ。

もうさ、「あなたが好きだ」って言われることが怖い。
ずっと好きでいてくれるとは思えないから。私は全然自分に自信がないからさ。
だから、
“好きになったってことは、あとは下り坂だけで。きっと、そのうち嫌になるよ?”
って思っちゃう。

やおいかん。笑

『午後の音楽』はいいなぁ。
最高の方法だよね。
こうやって終わったら、お互いずっと好きでい続けられるだろうって思っちゃった。
小説の中のお義母さんとはまた違う、永遠の見つけ方だね。

私もいい恋愛がしたいな。
日々が楽しくなるような、わくわくするような。

理解者。

何十年に一回の大惨事に出くわし、だけど私の仕事上の話だから友人関係では
特に話せるわけもなく、でも自分の中でぐるぐるしている重たい気持ちがある。

という今。

私は本当に下っ端な上に、仕事を始めて1年という経験もないぺーぺーで、
だからこそ何もわかっちゃいないだろうし、大惨事に対する意見も言えるような
立場じゃない。

でも、当事者に近い立場にいるからこそ、本当に今はしんどい。
私はしんどさが表に出ないたちで、はたから見てると結構元気にやっているよう
に見えるみたい。

だから今日は、たぶん私と同じように、この状況の中でしんどくなってて、でも、
友達はこの状況にかかわりあいがないからこそ話ができないような人に出くわして、
おそらくその人からの「しんどいんだけど、助けて」的な信号を受けて話ができた
ことは、その人を和らげるとともに私も救ってくれた。

やっぱり、理解して、話せて、話がわかって、それでいっしょにしんどくなってくれる、
そんな理解者がいることはありがたくて、とても大切だと思った。

この大惨事のために、私はどれだけ良い人に囲まれているかよくわかった。
そして、どんなに多くの人が、うちの職場の活動に理解を示してくれてるのかも、
本当によくわかった。

『シェエラザード』

浅田次郎の小説『シェエラザード』を読んで。

もう2週間前くらいに読んだんだけど、本当に久々に
どーんと深く、重たくて、
でも面白くてすっきりと終わる小説だった。

内容は、
弥勒丸っていう戦時中末期に中国沖で沈められた、元巨大客船で軍に徴用された船をめぐる話。
現代でその船を引き揚げようとする人と巻き込まれる(吸い寄せられる)人たち、
弥勒丸が航行していた当時、沈むまで船内でともにすごした人たち、
の二つの話が並行して進んでいく。
赤十字の船として、安全航行が保障されていた状況で、どうして弥勒丸は沈められてしまったのか?ってのを中心にすえている。

間違いなく戦時中の、戦争の話なんだけど、
この小説では、リアルでグロテスクな戦闘シーンや、生と死のぎりぎりで狂気に走る人間の恐さなんてものはでてこないんだよね。
ただ、戦時中の、
戦闘員ではない、だけど戦争っていう波に巻き込まれた人たちが、そんな世界の中にいて確かに誇りをもって生きていた、ってことを書いた珍しい目線の話だと思う。

なんだろうねぇ。
私は、勝手に巻き込まれて煽られて、洗脳されて、苦しくてしんどくて、それでも生きたいと願った結果わき起こる、人間の醜さと、どこまで非道になれるかってのを書いて怖くて不安で戦争が嫌になる、
そんなものが戦争モノだと勝手に思っていたけど。

これは、
誰もが確かにしっかりと生きていて、自分の意思で責任を持って行動していて、たまたまそれが戦時中だったがために生き残れなかった、
だからこそ、そんな尊敬すべき人が、生きていてほしいような人間が、死んでしまうのが戦争なんだから、だから戦争って嫌だろう、
って思える戦争モノだね。

立派な死を賭すような使命も何もなく、どうして死ななければいけないのかも知らないまま、
ただ、”戦争だから”死んでしまった数千人の人の話。

私が感じたのは、そういうこと。

 

なんかね。
読後、、かわいそう、とか、哀れ、とか、憤り、とかではない何かがあった。

杉原千畝の話を読んだときみたいな感じ。
不安なまま生きている群衆がいて、その群衆の中の杉原千畝らリトアニア領事館っていう旅を導く、ある意味の安全へ向かう旅船みたいなものがある。
戦いには巻き込まれていないけど、情報戦や水面下の工作、為したいことと成せることがあって、軍事力や圧力に完全には屈しない戦時中だからこそ生まれた意地のようなものが張り巡らされている。

 

結論とか、締めを用意するのは私はとても苦手なんだよね。
だから、この日記についてもまたこんな曖昧なところで終わるんだけども(笑)

本当に久しぶりに、どっぷりと浸かった小説だったなぁと思う。
片手間、や暇だから、読むものじゃなくて。
『シェエラザード』が読みたいから早く仕事を終えて帰ろう、ってしてたくらい。

過去における死者について。

今日は単なる備忘録みたいなメモ書き。

考古学を学んでいて、しばしば出会った死者について。

基本的に、考古学は遺るもの=腐敗しにくいものからしか研究できない。
発掘などによって出てきた遺物を研究対象にするから。

その遺物と出土状況から、いろいろな発想を組み合わせて研究を組み立てる。

 

だからこそ、「人間」のうち残るものは、使用していた道具・建造物・利用した痕跡(地面を耕した跡、植生をいじった跡など)・食べかす・人骨、がほとんど。

“人間そのもの”のうち残るものは、人骨のみ、と言える。
乾燥地帯や泥炭層・凍結地帯だと生身も残るけどね。
日本のような土壌・気候だと、残るとしても人骨がせいぜいだろう。

だから、死者についてはかなり大きく研究されている。

興味を持ったもの。

・歴史時代(飛鳥~現在)の都の、半ばゴミ捨て場と化した大きな溝で、しばしば捨てられた死者が見つかること。おそらく、飢餓や疫病で死んだ身寄りのないものの亡骸を捨てたものだと思われる。

・中世の墓地において、特に屋敷墓(家の敷地内にある墓)で、かなり狭い墓穴に、窮屈な…というかむりやり詰め込んだような状況で埋葬される例が多々見受けられる。

・縄文か弥生の湿地において出土した人骨で、洪水の際に上流の墓地から流されてきたのだろうものが何体か見つかっている。きれいに埋葬されているわりに出土地が変である(墓地でない)こと、洪水の痕跡があること、上流に墓地があることから推測。

・石器時代(だったかな?)における高齢の人骨で、あきらかに数年~数十年にわたって体が動かなかったであろうものがあった。長期間体が動かない状況にもかかわらず、ずっと生きてこれた様子から、当時から人間は動けず働けない者でも養って生きていた例。

・古墳時代に、数代にわたって使用された墓について。横穴墓や石室など。
前に埋葬された死者が骨になってから(おそらく)、次の埋葬の際に邪魔になったのか、脇に前者の骨をよけて集めて、新しい死者を追葬する例。
この当時の人々は、人骨を見慣れていたのかもしれないし、特段抵抗がなかったのかもしれない。きれいに井の字型に骨を組んでよけていたりするのもある。
また、全く以前の埋葬者の人骨を意に介さず、骨の真上に新たな死者を据えた例もある。

・由比ヶ浜出土人骨には、一見きれいに埋葬してあるように見えて、左右の骨を間違えている例がある。左に右腕があって、右に左腕があったり。
これはつまり、戦乱で死にそのまま浜で白骨化した死者を、弔うためにきちんと埋葬しなおそうとした誰かがいて、死者の人骨を移動し埋葬地まで運んで再度組み立てる際に、左右の骨を間違えて組み立ててしまったためか。

・竪穴式住居の玄関口の床下(地面下)に幼児・胎児が埋められている例が多々ある。
現代の“水子の霊”という感覚のように、昔もそういった死者を弔う習慣があったのか。その方法が前述の方法だったのか?または、守り神としたのか??

考古学をしていた時、私も将来死んで骨になったら、何千年も残る骨になって、いつか遠い未来に誰かが見つけて研究してくれたらいいなぁと思った。

そのために、是非とも縄文人のように強くて丈夫で、、筋骨たくましい骨になろう、と思っていたのを今なんとなく思い出した。

『ストーリー・セラー』

人の生き死にって、どうしてこんなに心を狂わすんだろう。
自分だって生きているし、いつか死ぬ。
今までや、現在、いったいどれだけの人が生きて、死んでいったかしれない。

なのに、どうして。

人が生きる、ということはこんなに物語になるんだろう。
人が死ぬ、ということはこんなに物語になるんだろう。

私は書くことがこわい。
文字にしてしまうと、言葉として発信してしまうと、
自分が発信した文言を
“認める”
ことになってしまうような気がして。

親が被った病気や、その末路についてだって、
私はただ淡々と受け入れることしかできない。

だって、私がその病気になったわけじゃないから。
正直、わからないことが多すぎる。
わからないのに、わかったように悲しんだり、勝手に憤ったり、
なにより、まるで自分が病気にかかっているかのように苦しんだりすることが、
どうしても許せない。


認めたくないだけかもしれない。
口に、文章に出さなかったら、まるで起きていないことのように思えてしまうから。

ただの夢物語だったらいいのに。

『ストーリー・セラー』はそんな私の気持ちを叩きのめした。
でも、嫌じゃない。
だってしかたない。現実は、変わらない。ただ私が淡々としたふりをしてすっかり諦めたふりをしていただけのこと。

あぁ。
私は馬鹿で正直でどうしようもないけれど、
まるで被害者ヅラをして、不幸さを競いたいわけじゃないけど。
だけど、やっぱりつらい。
つらかったんだなぁって、今日気づけた。

読書は自分を開拓するって誰かが言っていた気がする。
そうかもしれない。自分の発想にはないような感覚を教えてくれる。

毎回。

ギルティクラウンを見るたびに打ちのめされるのはなんなのかww

見ていてつい思ってしまうけど。
わかりやすい・変わりやすい周囲に振り回されて、醜く、人を信じることすらできず、
誰かに縋って生きていることの不快さよ(笑)

でも、私もきっと一緒なんだろうなぁって思うから、打ちのめされる。

 

今の仕事でも楽しいなって思うこともあるけど、
逆に、すごくしんどいなってこともあるし。
基本的に、『向いてない』って心の底から思うもん。

「誰だってそうだよ」って言われたらそうかもなって思うけど、
「オレ、すごく仕事楽しいんだよね」って言う人の話を聞いてると、やっぱり私にも楽しいなって思える仕事あるんじゃないかなとも思うしねw

多分、「誰だって仕事ってしんどいもんだよ」ってあきらめたら、そこで終わりなんだよ。
だけど、あきらめずにずっとフラフラ“何か向いてる仕事”を探してても、見つからないんじゃないかなぁ。

じゃあどうするんだよ、って話だけど、
私は、きっと、
「やりたい!」って心から思う何かを見つけて、
それこそが「やりたいこと」なんだって信じること、
そして、なりたい自分とやりたいことを夢見ること、
に尽きるんじゃないかなって思う。

どんなことだって続けてたら誇りになるし、自信になる。
自分にしかできないことって、そのうち出来るはずなんだよ。

…続けてたらね。年月が培うものってあるからさ。

だけどさ、きっと、そんな自信も誇りも、ちょっと不安になる時があるはず。
「ひょっとして、誰でも同じ事を続けてたら、自分と同じくらい出来るようになるんじゃないか。」
「同じ年月でも、自分よりもっとすごいことができるようになる奴っているんじゃないか。」
みたいな。

まぁ、でもさ、そこできっと「やりたいこと」をやってたなら、
「まぁ、やりたいことやってるからいいか」
って気にせずにいられそうじゃない?

そうなったらいいなぁ。笑

 

あー。
私また落ちましたよ。
でも、毎回だけどなんか粘るんだよね。
「あなたの履歴書が届いてね、届く前にもう採用する人決めてたけど、ちょっとやっぱりあなたが気になって採用どうしようかなって悩んじゃって…。返事遅くなっちゃってごめんね」
的に粘る。
結果は落ちるんだけどww

“ハイ没~”
ってならないだけ嬉しいよね。
ちゃんと履歴書見てくれたんだなぁって嬉しい。
不採用の電話でも、本当に申し訳ないって雰囲気が感じられるくらいの口調で話してくれるのがせつないけど有難い。

綱渡りで生きているからなぁ。
私って本当に、運良く誰かに目を付けてもらって、拾ってもらって今に至っている。
本当に幸せなことなんだろうなぁって今日は思った。
そんな、不採用の電話でした(笑)

だからさ、ながーい脱線の後に元に戻るけど、、笑

ギルティクラウンの主人公も、もう本当に救われて生きているに違いないのに、
そんなこと気付けないくらい盲目になってしまっていて、
それを救ってくれる誰かが周りに居なくて、、
今の結果だよ。って感じ。

まぁ自業自得でもあるけど、運が悪いんだよ。
だけど、きっと誰かに救われて、それで生きていくんだろうね。
…寒川君とかね。

私は、達観して生きているようなツグミより、シュウやアヤネの方が好きだな。
ツグミはきっと生き残るだろうなって思うけど。きっとそれだけ、必死に生きるために生きてるし、自分の守りたいものを守るためにはどんなにも冷徹になれるだろうなって思う。
それはすごい強さなんだろうけど。

だけど、“正しい”決断力はなくても、悩んで迷って間違って、一生懸命に自分を作っているような、シュウやアヤネが好きかな。

結局は素直だし。したくないことしてる時には見てわかるくらいに悶々としてるんだろうし。
まぁ、そんな風に心にある優しさを捨てずに生きるってすごいよね。それも強さなのかもね。

みたいにね、もう、毎回悶々と考えてしまうのが、ギルティクラウン。笑

『夏目友人帳 肆』

夏目友人帳、またまた放送してますよ。
すごい人気なんだろうね。。

なんだかんだで、まだ見たあと泣いちゃうんだけどね。笑
毎回ではないけど、ちょこちょこ泣いちゃう。

 

夏目って、やさしいし、きっとずっとやさしいんだろうなって思う。

今見てる『ギルティクラウン』は今回の放送がすごくて。
人が崩壊して、再構築したとき、どうなるんだろうなぁって思わされた。
泣いちゃったよ。ハレ…。
そう、優しかったシュウが、ハレを失ったことをきっかけ(?言い訳??)として、
堅くて冷たくて、人を簡単に切り捨てるような人間に変わっちゃったんだよね。
…まだ切り捨ててはないけど、たぶん次回切り捨てるだろうww

だけどさ、きっと集とおんなじような状況になっても、夏目はやさしいままなんだろうって
思ってしまった。
きっとたくさん自分を責める。けど、やさしいままだろう。そう、その違いはきっと、
力を持ってるか否かなのかもしれない。

 

なんかさ、よくある場面なんだけど、
親しい人が主人公を助けて死ぬ→主人公は精神崩壊、その後すっごく冷たい人間にor復讐の鬼に
ってのが、今回のギルティクラウンにも当てはまるよね。

大抵の場合、主人公を助けて死んじゃった親しい人は、絶対に主人公が冷たい人間だったり復讐の鬼になったりすることは望んでないんだよね。

だけど、もう、人間って弱いんだろうね。笑
そうやって自分を見失うことでしか、償えないし、精神を保ち切らないのかも。

  

しかし、実際はどうなんだろう。
映画やアニメなんかではよくある設定だけども、この世界の現実の中には、
よくあることなんだろうか。

そんなことを考えてみたけど、
ギルティクラウンのそんな場面を見て、私も、
精神が超不安定になって、あぁあああああ、ってなって、泣いた、
から、主人公のシュウに共感したり、共鳴したりしちゃってるってことだよね、、。

むむ。
いやでも、ハレに共感したのかも?
ハレが望んで好きになったシュウが、
ハレが死んだことで全然違う人間になっちゃって、
なんかあまりにもハレがかわいそうだよ、って思っちゃったのかなぁ。

とか、もやもやしてる今。

自分の感情でさえわけわかんないのに、
試験の現代文の
「下線部aの部分の主人公の気持ちに当てはまると思われるものを選択肢の中から選び、回答欄に記入しなさい。」
って問題に、はたして
「完全な正解」
があるんだろうか。

また入試の季節がやってきましたねー。。
私は国公立大入試で、前期も後期も同じ大学を受けて、前期(B~C判定、倍率4倍)で落ちて後期(D~E判定、倍率10倍)で受かった奇跡の人間なので、何があるかわかんないよ!とだけは自信を持って言える(笑)

入試を受けるみなさん、頑張って、そしてなにより、楽しんでください。
後期の作文なんて楽しんだもの勝ちな気がするんだけども。…私だけか。

「今」生きることの不思議。

ほとんどの生き物は、“種が生き残るために生きている”んじゃないだろうか。

私は、自分がそんな原則から外れてる変な生き物なんだろうなぁって思う。

  

生きることが嫌になる理由に、
「将来を悲観して」、「これからどうしたらいいかわからない」、
なんて言葉があるのも滑稽だ。

今を生きなければ、“将来”なんて、“これから”なんて存在しない。
なのに、人間はどうして、未来を想像して「今」苦しむんだろう。

そう、思っていたけど。

別の見方からすれば、
将来を考えるから、人間は生き残ったのかもしれない。

「将来子供たちに面倒かけたくないから」、「歳をとっても生き生きしていたい」、
って、体を悪くしないように毎日運動してる人がいたり、食事に気を使う人がいたり。

「子孫に何か遺せたら」、
って事業を興したり、土地を買う人がいたり。

そうやって、未来の子供たちや孫たちの事を考えて今を生きるから、
だから人間は生身ではこんなに弱いのに、、ここまで生き繋いできたのかも。

それはある意味、人間っていう種を残すために、子孫に生を繋ぐために生きているよね。
本来の生物の原則に叶っているんだろうなぁ。

 

だけども、
「今」、果たして未来の人間のことを考えてる人はどれくらいいるんだろう?

…今生きること、自分たちの人生を生きることに精いっぱいで、未来なんて考えられないくらい苦しい人だってたくさんいるんだろうし。
逆に、余裕はたくさんあるけど、自分がどうそれを使うか、どう生きたいか、ってことだけ考えてる人だってたくさんいるんだろうな。

人間はもういっぱいいっぱいなのかな。
これ以上生き繋ぐことが出来ないくらい、人間の社会や生活が肥大しすぎてしまったのか。

資源は枯渇して、
作り出したエネルギーは暴走して、
精神さえ破綻してきているのかも?

 

まぁ、そんな暗いことを考えたところで、
私にとっては、今を生きることが出来るのは幸せで、未来が見えないってことが救いになっているのは確か。

さぁ、頑張って、苦しんで、悩んで。
どんなにつらいことがあって、どんなに責められても、
それでも生きていけますように。

ありがとうを言う。

なぜか昨日募金活動をしたんだけれども、
「ありがとうございます」って何度も何度も初対面の人に言って、
終わった後すごく満足している自分がいた。

私、ビラを配るのが好きなんだよね。
それも多分、「ありがとうございます」って言えるからなんだろうなぁ。

 

普段の生活の中で、誰かが何か自分にしてくれたとして、
でもそれが有難迷惑なことって結構ある。

例えば、ちょっと熱めなコーヒーが飲みたくて、給湯室でコーヒーを淹れようとしてたら、
ほかの人が来て、
「あ、いいですよ、淹れます。あなたまだ仕事残ってるでしょ?」
って代わってくれたりしたとき。

気分転換のつもりだったのに、とか、熱めが良かったのにぬるいのを淹れてくれたりしそう、とか、仕事続けろってことかよ、とか。。

代わってくれたこと自体すごく有難いことなはずなのに、、
逆にもんもんとして、心からの「ありがとう」が言えない。

そこでもんもんとしちゃうのは、私の心の狭さでもあるんだけどね。

 

だけれども、
ビラを配る→誰かが受け取る
ってのはすごく単純なことだから、そこに何か不満が出たりしないんだよね。

だってさ、ティッシュさえついてない、クーポンも無いようなビラを受け取るって、
しかもどこかに向かってる最中に、気と、ちょっとした時間を割いてまで受け取るわけで、
ただの、奉仕活動みたいなもんじゃん。
結局ビラの内容を読み終えた後にはゴミになるんだからね。

だから、ビラを受け取ってくれたり、募金してくれたりすることは、
私にとってはすごくうれしい。
「ありがとうございます。」って心から言える。

もう、私にとってはビラを受け取ってくれる人がいる、募金してくれる人がいるってだけで、
“奇蹟”みたいな気分になるんだよね…笑

利害関係が絡まないのがいいね。

 

もし、街でビラ配ってるのを何となくうけとっちゃって、
『うわ、なんで受け取ったんだろう、ゴミになるだけなのに』
って思っちゃう人がいるなら、
ちょっとこれを機に転換してみたらどうだろう。
『うわ、受け取っちゃったけど、あー…まぁビラ配ってる人が喜んだだろうからいいか』
って。
で、気になったら読んで、気にならなかったらそんな読まずに、捨てていただいて構わない。

別に私はビラを受け取ってもらえたら、
内容さえ読んでもらえたなら、ゴミに捨てられても悲しまないww
だって、内容を気に留めてもらえれば万万歳。大事にとっとくようなもんでもないだろうし。

お菓子とか、ディスプレイに並んでるものを選んで買って帰ってくれる感じの作業もいいかもね。
まず間違いなく「ありがとうございます」って心から言えるし。
選んでる人の一生懸命さとか、どれがいいか悩んでる姿とか、ちょっと楽しげで幸せそうな顔とか、、そんなのを見ているだけで本当に幸せな気分になる。

 

そんなことを思いながら、
今日すごく幸せなことがあった。

ふと入ったお店で、気になったクッキーがあったから1つだけ買ったんだけど、
レジで会計してたら、店員さんが、、
「これもオマケで入れときますね!」
って、300円のマフィンを(!!笑)入れてくれた。

『私が買ったクッキー、90円ですけども…w』
と思いつつ、「ありがとうございます」を心から言えた笑

なんか、いい日だね。
楽しかった。。

「feel my soul」

YUIの「feel my soul」を聴いて、
デビューの頃の曲ってのはきっとすごく思い入れがあって、
心が、ものすごくこもっているんだろうと感じた。

なかなか、歌詞が心にひっかかる曲でないと私は気にならないんだけど(笑)
今日、YUIの「feel my soul」をたまたま聴いたら、
歌詞なんかじゃなく、歌そのものがなんだか心に響いた。

 

私はあまりYUIを聴いたことがなくって、
しかも別に好きってわけでもない。

顔は可愛いなぁって思うけどねw
笑った顔の雰囲気がちょっと沢尻エリカに似ている気がする。無垢で、童顔な感じの笑顔ってイメージ。
しかも今付き合ってる人がYUIの顔がすごく好きで、私は全くYUIの系統の顔立ちじゃないから(私は東南アジア人な顔。目鼻立ちがくっきりしてる感じ?サリーがめっちゃ似合う自信がある…笑)、憧れるし、良いなぁって思うww

そう、話しがそれたけど、
そんな私がこの曲を聴いて、『YUI好きだな』って思っちゃったからね。
他の曲では思わなかったのに。

 

やっぱり、何かを始める時、しかもそれが自分が築き上げてきたものから派生した何かな時、すごく自分(その人)らしさが出るんだと思うんだよね。

たとえば、この場合だったら路上ライブしてたYUIが、メジャーデビューする時。

不安も、未熟さもきっとたくさん感じただろうけど、
でも自信だってあったはず。
意気込みがあって、目指したい場所があって、伝えたい何かがあったと思う。

そんな曲はとっても重いよね。
想いを伝える力も大きいだろう。

 

なんか、結局なんだろうって話だけど(笑)、
そんなことを思った曲でした。うんww

«あけました。

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