ありがとうを言う。

なぜか昨日募金活動をしたんだけれども、
「ありがとうございます」って何度も何度も初対面の人に言って、
終わった後すごく満足している自分がいた。

私、ビラを配るのが好きなんだよね。
それも多分、「ありがとうございます」って言えるからなんだろうなぁ。

 

普段の生活の中で、誰かが何か自分にしてくれたとして、
でもそれが有難迷惑なことって結構ある。

例えば、ちょっと熱めなコーヒーが飲みたくて、給湯室でコーヒーを淹れようとしてたら、
ほかの人が来て、
「あ、いいですよ、淹れます。あなたまだ仕事残ってるでしょ?」
って代わってくれたりしたとき。

気分転換のつもりだったのに、とか、熱めが良かったのにぬるいのを淹れてくれたりしそう、とか、仕事続けろってことかよ、とか。。

代わってくれたこと自体すごく有難いことなはずなのに、、
逆にもんもんとして、心からの「ありがとう」が言えない。

そこでもんもんとしちゃうのは、私の心の狭さでもあるんだけどね。

 

だけれども、
ビラを配る→誰かが受け取る
ってのはすごく単純なことだから、そこに何か不満が出たりしないんだよね。

だってさ、ティッシュさえついてない、クーポンも無いようなビラを受け取るって、
しかもどこかに向かってる最中に、気と、ちょっとした時間を割いてまで受け取るわけで、
ただの、奉仕活動みたいなもんじゃん。
結局ビラの内容を読み終えた後にはゴミになるんだからね。

だから、ビラを受け取ってくれたり、募金してくれたりすることは、
私にとってはすごくうれしい。
「ありがとうございます。」って心から言える。

もう、私にとってはビラを受け取ってくれる人がいる、募金してくれる人がいるってだけで、
“奇蹟”みたいな気分になるんだよね…笑

利害関係が絡まないのがいいね。

 

もし、街でビラ配ってるのを何となくうけとっちゃって、
『うわ、なんで受け取ったんだろう、ゴミになるだけなのに』
って思っちゃう人がいるなら、
ちょっとこれを機に転換してみたらどうだろう。
『うわ、受け取っちゃったけど、あー…まぁビラ配ってる人が喜んだだろうからいいか』
って。
で、気になったら読んで、気にならなかったらそんな読まずに、捨てていただいて構わない。

別に私はビラを受け取ってもらえたら、
内容さえ読んでもらえたなら、ゴミに捨てられても悲しまないww
だって、内容を気に留めてもらえれば万万歳。大事にとっとくようなもんでもないだろうし。

お菓子とか、ディスプレイに並んでるものを選んで買って帰ってくれる感じの作業もいいかもね。
まず間違いなく「ありがとうございます」って心から言えるし。
選んでる人の一生懸命さとか、どれがいいか悩んでる姿とか、ちょっと楽しげで幸せそうな顔とか、、そんなのを見ているだけで本当に幸せな気分になる。

 

そんなことを思いながら、
今日すごく幸せなことがあった。

ふと入ったお店で、気になったクッキーがあったから1つだけ買ったんだけど、
レジで会計してたら、店員さんが、、
「これもオマケで入れときますね!」
って、300円のマフィンを(!!笑)入れてくれた。

『私が買ったクッキー、90円ですけども…w』
と思いつつ、「ありがとうございます」を心から言えた笑

なんか、いい日だね。
楽しかった。。

「feel my soul」

YUIの「feel my soul」を聴いて、
デビューの頃の曲ってのはきっとすごく思い入れがあって、
心が、ものすごくこもっているんだろうと感じた。

なかなか、歌詞が心にひっかかる曲でないと私は気にならないんだけど(笑)
今日、YUIの「feel my soul」をたまたま聴いたら、
歌詞なんかじゃなく、歌そのものがなんだか心に響いた。

 

私はあまりYUIを聴いたことがなくって、
しかも別に好きってわけでもない。

顔は可愛いなぁって思うけどねw
笑った顔の雰囲気がちょっと沢尻エリカに似ている気がする。無垢で、童顔な感じの笑顔ってイメージ。
しかも今付き合ってる人がYUIの顔がすごく好きで、私は全くYUIの系統の顔立ちじゃないから(私は東南アジア人な顔。目鼻立ちがくっきりしてる感じ?サリーがめっちゃ似合う自信がある…笑)、憧れるし、良いなぁって思うww

そう、話しがそれたけど、
そんな私がこの曲を聴いて、『YUI好きだな』って思っちゃったからね。
他の曲では思わなかったのに。

 

やっぱり、何かを始める時、しかもそれが自分が築き上げてきたものから派生した何かな時、すごく自分(その人)らしさが出るんだと思うんだよね。

たとえば、この場合だったら路上ライブしてたYUIが、メジャーデビューする時。

不安も、未熟さもきっとたくさん感じただろうけど、
でも自信だってあったはず。
意気込みがあって、目指したい場所があって、伝えたい何かがあったと思う。

そんな曲はとっても重いよね。
想いを伝える力も大きいだろう。

 

なんか、結局なんだろうって話だけど(笑)、
そんなことを思った曲でした。うんww

あけました。

あけましておめでとうございます。

今年初書きになるんだけど、
特にネタがないんだよね。
…いや、いつもないけど!(笑)

毎年ブログでは今年の抱負を書いてる気がする。
今年は何にしようかなぁ。

自分を見失わない、かな。

すっごく流されやすいし、つい周囲の調子に合わせがちだから、
気付いたら
『あれ、自分これしたくなかったのになぁ。』
とか、
『いったい何がしたかったんだっけ?私の好きなことってなんだっけ??』
ってなっちゃうんだよねー。

だから、
自分だったらどうしたいか、
自分だったら何を喜んで楽しめるか、
ってのを念頭に、今年は活動しようかな。

去年めっちゃ“ながされ侍”だったからね。

着る服も迷走したし…w
ギャル系、清楚系、山ガール系、森ガール系にカジュアル、ナチュラル、モード系…
なんでも着た一年でした。

フフフ。
もう、いろんな服がクローゼットに入っております。

 

さて、早速今年も年明けてすぐに土日を仕事でつぶしましたが。
代休だってまた1週間分はたまってきましたが。
消化するチャンスもうかがえず。どうしようかねぇ。

昇給もないし、ボーナスも無いし。
それでも仕事が好きだったら良かったけれども、別に好きじゃないと来ている(笑)。。
このままでは将来が見えない。貯蓄できない。
生活費にも苦しみ、ささやかな貯蓄も削りながらの日々。

何より、体調を崩すのが困る。
あー転職しようか、、と悩むこの頃。

どうしようかなぁ。
ま、転職したらまた報告します。

 

今年がみなさまにとって本当に素晴らしい一年になりますように。

誰かが
「去年があんなに苦労して、頑張って、一生懸命だったんだから、絶対に今年は良い年になるんだ!」
って言ってた。
本当にそう。よい年にならなきゃなぁ。

みんなで生きましょう。
引きずってでも誰かを助けるような、そんな一年にしよう。

『死に花』

この前、『死に花』って映画を観た。
超高級老人ホームに集まったおじさん(おじいさん?)達の楽しい計画の話。

“人生の最期に、死に花を添えよう。”
ってことで、「死に花」ってつけられた計画ノートを基に、
何事もなく終えるはずだった老後が一気にめちゃくちゃで生き生きとしたものになる。

みんな素直でわがままで、結構好き勝手生きてきたんじゃないかなぁって感じのするキャラクターばっかり。

人の老いや死を根底にして作られているのに、なんか明るい。

この映画と同じ時期に『ナイロビの蜂』も観たけど、逆に、死ってのは本当に暗いこと、みたいな感じのする映画だった。

違いはなんだろうって考えて、
人生を生き切ったくらいの年老いた人たちの死に向かう話と、
先も長い、将来も有望だっただろう人たちの死に向かう話、
ってところだろうと思った。

本当は、老いることも、死ぬことも、“暗いこと”ではないんじゃないだろうか。

 

もう、年末にこんな暗ーいネタを出すらへん、
私ってネクラだなって思うけどね。。笑

『死に花』を思い出したら、
伽藍堂に入りたくなった。

あの静寂感、目の前に迫る寺院独特の重厚で厳密な空気感。
あー味わいたい。あの空気に包みこまれたい。

伽藍堂の中に一人っきりで、何かばくぜんとした重みと対峙している時、
突然に除夜の鐘でも鳴り響いてきたら、、もう、泣いてしまいそう。

「がらんどう」の部屋、
だったり、
「がらん」とした部屋、
って言葉は、

本来は
「伽藍堂」の部屋、
「伽藍」とした部屋、
ってこと。

何にもない、だけどとても広くて高い漠然とした空間。
自分にのしかかってくる空気が重い、もしくは、なんだか違和感がある。
さみしいけれどほっとするような。

考古学や建築学には「伽藍配置」って言葉があって、
仏教建築での寺院の建物の配置の仕方を見るんだよね。

時代を経るに従って配置の仕方もかわるんだけど、それだけじゃなくて配置の違いに宗派みたいなのもあるんだよ。

気になる方は
『仏教考古学』でも見てみてくださいww

それでは、良い年末を!あと良いお年を。

満足と終焉。

年末、一年を振り返ると、
毎年同じようなことを思う。

この一年、いろいろとあったけれど案外あっという間で、
何よりも、とても面白くて幸せな年だったんだろうな。

今ここで、満足して生きていられる自分が居る事が、
一番の幸せかもしれない。

 

今年はずっと体調が悪い。
癌?って思ったけど、「癌になったら痩せる」って話を聞いて、
別に痩せていない自分にちょっと安心しつつ、
痩せられないことが少し不満でもある。

もし、今日明日にでも唐突に死んでしまったら、
家族にとっては急に悲しくつらい年末年始になるんだろう。
葬式代も満足に貯められていないから、もちろん迷惑をかけるだろうし。
せめて何か残せるものがあればいいんだけれども。

そんなことも、なんとなく年末には考える。

一年の終わり、という感覚が、自分の一生の終焉まで喚起させるんだろうか。

 

居酒屋に良くある“山芋のお好み焼き”が好きで、
この前道の駅で見つけて人生で初めて山芋を買った。

自分では山芋のお好み焼きなんて作ったことも無い。
だからなかなか手を出さずに、冷蔵庫に放置されていた。

今日は予定もなく、あまりに何もない日で、
それならばいっそ、思いきってごろごろしようと決めた。
昼には友達の誕生日プレゼントを買うこともやめて、
山芋のお好み焼きを作ってみることにした。

いざ作ってみるとあまりにも簡単にできた。

山芋をすって、
小麦粉とだし粉末と水と千切りキャベツと卵とざっくり混ぜ合わせ、
焼いただけ。

それだけで、居酒屋のと同じような味になった。
あと、みりんをいれるともっと美味しいかもしれない。

今日の成果はおそらく、それだけになるだろう。
それでも、きっと、この年末、一年の終焉の時期に、
一つ新しいことに挑戦した。

それだけでも満足すべきだろう。

そんなささやかな幸せと実感を込めて、
この一年に満足したいと思う。

「There will be there-愛のある場所-」

the brilliant green Music the brilliant green

アーティスト:the brilliant green
販売元:DefSTAR RECORDS
発売日:2000/10/01
Amazon.co.jpで詳細を確認する

↑このCDの中の、
「There will be there-愛のある場所-」
を最近よく聴く。

  

“ “楽しみに待つ”とゆうこと
  待つ時の楽しさも今では空っぽで不安で一杯になる
  悩みはいつも絶えなくて不満を言えばきりがない
  全てに立ち向かう強さを下さい I believe       ”

 

この曲を聴きつつ、ここ↑を毎日車の中で歌う。
悩みはいつも絶えなくて不満を言えばきりがない。
こんな、当たり前の苦しさを歌っている歌があったなんて。

不満を言わない、そんな強さは欲しい。
けど、弱音を吐ける、そんな弱さが欲しい。

この曲をずっと聴いていたら、なぜか、
最近弱音が吐けてないんだ、
って気づいた。

苦しくて、でも“苦しい”って思うことがまるで罪のように感じてしまって、
苦しいって思うことでどんどん追いつめられていく。

“思っちゃいけないこと”を思ってしまう自分がどんどん嫌いになる。
気持ち悪くなる。

そんな悪循環を、この曲が気付かせてくれた。

最近、なんだかご飯が食べづらい。
拒食症ではないんだけど、、。
作って、口に入れるまではいい、
だけど、口に入れてから、飲みこむことに覚悟がいる。
すっと飲みこめない。
だから、よく詰まらせかけるし、飲み物も誤って気管に入る。

飲み込んでからも、胃が消化してくれないのか、
ずっと胃が重い。
あげそうになる。

まるで「食べるな」って言われているよう。

 

この頃はよく、「食べることは、生きること。」って言うよね。
じゃあ、私は、生きることに向いていない?生きようとしていないのかな。

まぁいいや。
I believe.
って自分に言い聞かせよう。

そして、弱音が吐けたらいいな。

好み。

旅が好き、
歩くのが好きで、
植物が、生きものが好き。

私の好きなことは、そんなちょっとに集約される。

 

体調がいいときなら、
ただ歩くだけ、
ただ植物を眺めているだけ、
トカゲやヤモリ、蛙や、犬や猫、バッタや蛾、、そんなものを観察するだけに、
他に何にも考えないくらい、熱中している。

 

それだけで幸せを感じる代わりに、
私は自分を生かすために、
たったそんなつまらないことのために、
お金を稼がなくてはならないし、利益や損得を考えなくてはならない。

 

一期一会なら好きだ。
人生の中で、たまたま私がした行動で、偶然に出会う人がいる。
ひょっとすると、その人とはもう二度と会えないかもしれない。
だから、人と会えたということがとても大事で嬉しい。

些細な話をして、ちょっと身の上話だってして、、
ひょっとすると人生のそんな一瞬のことが私を変えるかもしれない。
未来に、新聞やテレビなんかで、その一瞬に出会った誰かを見かけるかもしれない。

 

私はそんな、旅しているような感覚で人生を歩きたい。
ずっと同じ人と関わって生きてくより、たくさんの人と流れるようにすれ違いながら、
出会いと別れを繰り返したい。

たくさんの感覚・風景に出会いたい。
きっと、たくさんの出会いは、私の視界を変えるだろうから。
今まで目にとまらなかった何かに目を向けるきっかけを与えてくれるだろう。
きっと、たくさんの景色に色がつく。
たくさんの見方を知る。

 

どっしりと根付く人に憧れる。
だけども、私はきっと根無し草だ。

 

人生を終えるその時に
…笑えたらいいなぁ。

ブログの書き方、について。

最近デザイン系のブログを拝見していたら、
“ブログの書き方”
“ブログを書くにあたって大切にすべきこと”
とかの記事をよく見かける。

  

よく挙げてあるのが、

・よみやすく、わかりやすいこと。(勘違いがおきないような文章にする)
・タイトルをはっきり。
・読んだ人にためになる内容を書く。ブログを読んでくれた人が何か知識を増やすことができたり、面白いなって感じてくれるようなことを書く。
・炎上させないよう、意見の対立がおきて反論がかなり湧く可能性のある内容は避ける。

ってこと。

 

あぁ、わかるなぁって思う。
そして、私のブログは全くそんなことはないね、としみじみする(笑)

このブログは私の思ったことをただ書き連ねる、
“一生のうちのある時の、私の感情ノート”みたいなものだから。

誰かに何かを与えようとも、
自分の意見を伝えようとも、
閲覧者数を増やそうとも、
全く思っていない。

そんな、ある意味、掃き溜めに近いブログ。

 

ブログなんて、“ログ”なんだから。
所詮ただの“記録”。

例えばそんな「書き方」を見て、そのように書くこともきっと良い事。
だって、たまたま読んだブログが読みやすくて面白かったら幸せだから。

だけど、書き方に縛られずに、気にせずに書いてもいいと思う。
私はどっちでもいいと思うんだよね。
閲覧数も気にしないなら、自分の好きなようにすればいい。

  

だから、たまたま私のブログを読んだ誰かが、
『こんな無駄なブログあるんだ…』
と思ってくれれば、それも一興。

そしてあわよくば、『こんなんもあるくらいだから、自分もブログ書けるかも?!』とか思ってくれれば、それも一興。

 

ブログならそれでいいと思う。
ただ、
今日ある会の会場に行って思った。

お金を払って、遠くからたくさんの人が見に来てくれるような、
そんな大きな気持ちが込められている場は、
しっかり作り込んだ方がいい。

何か大きく得られるものがあって、楽しかったと思ってもらいたい。
ただその場をやり切れればいいとか、そんな適当な気持ちで、こんなたくさんの人を
巻き込んじゃいけない。

私は今まで大抵の会は、ほかの人がどんなに「微妙だった…」と言っても、
私なりに得られるものがあって、楽しめる部分があった。

本当に久々に、逃げだしたくなるような会だった。。笑
ていうか、逃げだした。

半分外、みたいな寒い会場で、前とも横とも近い狭くてかつ心地良くない椅子に座って、
何が言いたいのかわからない司会の話を聞いているのに疲れた。
やっとの休憩の時間は、出入り口とお手洗いと休憩場と販売とが全て同じスペースにあったために大混雑で狭かったし。
寒かった。とにかく寒かった。

これは聞くに堪えない、と思った会でも、温かくて心地いい場所だったら寝れば幸せなんだけど。
寒すぎて、狭すぎて、寝れない。
周りの人の化粧品の匂いがきつくて、気持ち悪かった。

安く上げようとしすぎたんだろう。
会場は無料の場所、
司会はなれてない一般の人、
パネラーも慣れていない一般の人、
そしてそんなメンバーにも関わらず、司会もパネラーも何の打ち合わせもしていなかったみたいだった。

やっぱり、どんな会でも
“もてなし”の気持ちが大切だろう。

遠くから来てくれる人に楽しんでもらおう、喜んでもらおうって思って、
色々考えて作り上げるといいと思う。
自分がワクワクするような会にしないと。
自分が楽しんでると、自然に他の人も楽しめるんだよ、不思議に。

小学校の頃好きになった教科って、大抵先生が好きだから、とかの理由じゃない?
先生がすごく楽しそうに授業をしてくれた、とか。

私、理科が好きになったのって、理科の先生が「私、すっごく理科が好きなんです!!」ってキャラだったから。
実験が成功した班に先生がきて「すごいだろ!!」「この現象楽しくない?!」ってめっちゃアピールしてたもん。笑

そしたら自然に、自分もなんか楽しいような気がしてくるんだよね。

 

すっごく話がそれて、会の仕方とかになっちゃったけども(笑)、
ブログもなんだかんだで一緒だろうなぁ。

自分が楽しんで文章を書いてたら、読んでくれた人に“楽しい”って感情もなんとなく伝わるだろう。

伝えよう、わかってもらおう、ってしすぎないことじゃないかな。
伝えようって思って書いたら、もし読んでくれた人に伝わってなかったときにがっかりしちゃうでしょ。

楽しい事は楽しんで、くやしいことはくやしいって思いながら、
日々の記録をしていけばいい。

と、私は思うww

『ギルティクラウン』

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販売元:アニプレックス
発売日:2012/01/25
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今期からのアニメ。
ノイタミナって最近きてるよね。。毎期アニメのジャンルが違っててそこも面白い。

原作無しのオリジナルアニメ作品らしい。
内容も広報のしかたも売れそうな気配がする。

内容は、人づきあいが苦手な普通の文化系高校生の男の子が、
ある日偶然出会った“葬儀社”の女の子によって、世界を変える動きに
まきこまれながら成長していく、って感じ。

“葬儀社”ってのは、日本を支配しているものに対抗し、世の中を変えるために
活動しているレジスタンスみたいなもの。

んー、
主人公と葬儀社のトップの涯って子が、双璧で進んでくんだろうな。
幼い主人公と、陰を背負った涯が、反発しあいながら理解し合い、
協力して世界を変えていくんだろうね。たぶん。

男の子二人、ってとこもだし、全体の雰囲気はSEEDに似てる。
ロボットアニメでもあるしね。

 

ストーリーの流れさえ綺麗であれば、成功するに違いない。
キャラも立っていて、音楽もアニメファンには王道だし、広告がうまい。
絵が綺麗で、ちょっと背徳的。世界観も「末世」。笑


頭痛の謎。

ここ3日ばかり、どうも頭が痛くてね。
てか、もう4月からずっといたいんだけども(笑)、
たまに「どーん」といたくなる時がある。

タイミングがわからないから、自分でもどうしようもないんだなぁ。
やっぱ頭痛いと他のことに集中できないね。
粗が目立つようになるのが痛い。そして、粗に気付いても頭が痛すぎて考えれないwww

ってわけで、ちょっと頭痛日記をつけようかなぁと計画中。
今日からつけてみよう。。

食べたもの、寝起きの時間、デスクワークだったか運転してたか、外で動いてたか、を主に。
それと、どれくらいの痛さだったか、いつ頃痛みが引いたか、逆にいつ一番痛かったか。

 

そしたら、タイミングとか、わかるかな?

 

休んでもよくなんないんだよなぁ。
昨日なんか夜10時に寝て、今日朝6時に起きた。
8時間も寝たのに、朝起きたら頭痛かったしね。
片頭痛なのかなぁ。。

気圧?気圧の変化に弱いとか??
雨の日にいたくなるとか?!一昨日も昨日も雨だったし。
なら天気も書いておこう。。

病院に行っても、「肩こりじゃないですか?」って言われるし。
肩こりからくる頭痛が、仕事中に急にひいたりするものかな、、。

まぁ、自分で観察してみて、
自分の頭痛日記を付けてみよう。
うん。

それが一番いいかもね。
観察好きだし。
自分の頭痛リズムを観察してると思ったら、頭痛きても『あ、今レベル2くらい頭が痛い!14時30分、突如レベル2の頭痛発生!!』とか思えるかもしれないしねw

…なんかそれウケるな。

というわけで、今日から頭痛観察します!

«目標。

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